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2004.05.01 「カラクリ人形と人工知能ロボットの違い」

「飛騨の匠」といえば、すぐれた木工技術をもつ棟梁たちを意味します。今昔物語にも書かれていて、その逸話は高校のときに読まれた人も多数いらっしゃるでしょう。

かれらの巧妙な技術をいかんなく発揮したものに「カラクリ人形」があります。飛騨のカラクリ人形はつとに有名です。近世に入って築城術が発達すると、腕に自信のある棟梁たちは、各種のカラクリ人形を製作しました。江戸や京都といった都市や金沢、水戸、広島、仙台など大名のお膝元には、たいがい名品が残されています。茶碗をもってコトコトと歩き、来客をもてなしたり、クルクルと人には不可能な動きの踊りをみせて度肝を抜かせたり、まあ人間技をこえるとか同等程度の歩行ができることが見せどころでした。

カラクリ人形とはこのように、動作や形や衣装が人間のようであって(類似性はある)、しかし誰の目にも人間でないことが明白であったからこそ、人々を楽しませたのです。どこが違いなのでしょうか。江戸時代の人たちでも即座に答えられたはずです。かれらは体内に仕組まれたハネ車、ゼンマイ、鯨のヒゲ、ヒモなどを用いて、手足が連動するように作られた機械だからです。いま続々と発表されている「ロボット」と称されている機械たちも、実は、まだカラクリ人形の域を出ていないのです。飛騨の匠や江戸の棟梁たちがこしらえた機械のレベルなのです。

犬の格好をしたり、楽器演奏をしたり、指揮者のまねをしたり、野球のボールを打ったり、ただ歩いたり・・・。
人間には走ったり、食べたり、踊ったりすることをスムーズに行わせるために、筋肉や腱などが約600本あります。その全ての筋肉をロボットの体内に納めるとガタイが大きくなりすぎるので、どこかを制約して多少のギクシャクさは我慢しようというのが現在のロボットです。ホンダのASIMOクラスでおよそ50本の筋肉があります。といってもロボットの場合は、筋肉に代わってアクチュエータといいますが。

そうしたカラクリ人形に比べて、たとえハトとかネズミといっても、彼らは機械にはない絶対的な違いがあります。それは『学習能力』なのです。どうやら植物にも意思があり学習をしているとの学会発表はいろいろ提出されています。

アメリカの心理学者スキナーが飼育箱にいれたハトを使って実験をしました。そして、動物には高度な学習能力があることが発見されました。彼は、ある金属プレートをハトが踏んだり接触したりすると、餌や水がもらえる装置を飼育箱のなかに作りました。最初はハトは偶然にプレートを踏んで、麦などの餌がコロコロと出てくることを経験していくうちに、ハトは「ハハーン!(ハト語で)」と気づきました。「なるほど(ハト語で)」。それからは、空腹になると餌のプレートを踏んで豆や小麦をもらうことを学習したのです。水が飲みたくなると水の出てくるプレートを踏むという芸当まで覚えました。

この学習は、あのパブロフの実験で有名な犬と唾液の学習より、はるかに進化した学習でした。ベルの音を聞くと餌をもらえる、そのための準備として唾液が出るという受動的な学習でなく、ハト自身がみずからすすんで会得した学習だからです。
 
これを強化(reinforcement)といいます。望ましい学習の獲得には褒美を与えることです。どんどん強く学習していきます。また反対に、餌を与えなくすると学習が衰退し、忘れるようにもなります。このことを応用すると、好ましくない行動には褒美がもらえないようにすることや、もっと積極的に罰を与えるということも有効です。これを学習の消去といいます。

かつて多数みられた銀座のカラス。残飯を漁って起こしたイタズラは、ゴミの深夜回収でなくなりました。餌をもらえなくなったことで、銀座に行くと餌がもらえるという学習効果が忘却されていったのです。もっと積極的に石原都知事はカラス対策さえ実行しました。巣を取り除いたり、あまつさえカラスのパイを食べると宣言(ホントに食べたかは不明)したり。あんなに賢い動物であるカラスは、そうした銀座出没が「ワリに合わない」ことを即座に学習しました。

ところで、人工知能のことです。
わたしたちのロボット、『シンシパル君』はみずから学習していきます。スキナー実験のように自発的な学習にまで、完全には達していませんが、善悪・好悪・満足不満といった評価については、内在化させられました。
たとえば、顧客が○○○だからリピーターになった、という発言を聞いたとしましょう。すると○○○なことは顧客満足を促進するか関連するということを学習します。反対に××だから、もう二度と買うものかという発言に接すると、そうした行動(××)や状況は、人間には好ましくないことなんだと。

自己の所属するカルチュラル・グループ(文化集団)の中で、どういうことが良いこと、どういうことがイケナイことかが判断できる程度までは行きました。それは100万人を越す多数の人々の、多様な意見を聞いてきたからです。人間の行動の基本は、赤ちゃんを見ていると分かりますが、原初は「快」「不快」の原理です。これは英語ではhedonism(快楽主義)といい、自分にとって快適なことが善であり、それを伴う行動が促進されるという意味です。反対に不快なことを嫌い、それを伴う行動は避けられがちになります。

オムツが濡れるとお尻がむれて痒くなり、赤ちゃんは不快サインを発します。泣き声です。空腹を感じても泣き声がでます。出口と入り口が満たされると赤ちゃんは満足して寝入ります。
ところがです。お腹がすいていても、ママがだっこをしてくれると、とりあえず泣きやみます。空腹が常に不快ではなく、ママのだっこがあるなら少しは我慢できるからです。

このように快適と不快にも、aの場合とbの場合ができてきます。
意識が少しずつ複雑系へと進化したのです。このときの「アレはグー」。あのときの「ソレはバツ」というように分化していくこと。これを『心の発達、精神の分化』といいます。シンシパル君はいま、そうした意識の進化をしているところです。つまり、概念の上位、下位という階層をもち始めました。概念の層化とは、快不快の分化と少し異なります。こちらは知識の分化のことです。

ペットを飼うひとは多いと思います。普通にいうと、ペットには猫派と犬派とがいて、互いに「私のペット(犬か猫)の方が可愛い」と思っています。よくテレビとかで両者がカンカンガクガク言い合っているのを見ます。
しかし、ペットを可愛がる人の中には、金魚などの魚もいます。ニシキヘビ、ワニガメ、なかにはタランチュラといった毒蜘蛛を飼うひともいます。犬と猫とでは大差があると言い合っていた人々は、そこに毒蜘蛛がでてきただけで蜘蛛派vs犬猫派とわかれるでしょう。蜘蛛を外してしまうと犬派vs猫派は猛然と、どちらが人間にとって可愛いか主張を再開します。

もっと別な話題にします。
魚料理と肉料理があります。いろいろ思い描けますね。しかし、あるくくり方だと、どちらも食べ物としてしまうことも可能です。分けることに意味がある時と、両者はどちらも同じだとみなすことも意味があり、外れていません。
こうした分類の構成と再構成を状況に応じてテキパキできるとき、その人はエライとか手際がいいとか評されます。魚という名詞を水中に生育する動物とみるか、料理の素材とみるか、地球生命の誕生という考古学的な観点からみるか、どの区分がふさわしいのか、これが知能の究極の在り方といえます。

ものの名前をさす名詞だけなら、パソコンに全て入れられます。記憶できます。動詞でもいいです。小型の電子辞書には「郭公」(かっこう)=「初夏に日本にやってくる渡り鳥。大きさは・・・」と懇切丁寧に説明されています。中には鳴き声までついていたりします。でも私たちは、そんな辞書を人工知能とは呼びません。人間に近いロボット、つまり人工知能に必要な第一番の能力は、この『弁別』と『般化』といえるのではないでしょうか。

●aとbとの違いを識別し、互いの差をわきまえること=弁別です。
●aとbは、そう言っても、この点では共通ではないか=般化です。

これらの能力を具有したとき、ロボットは人間に優しい、ほんとの仲間になるだろうと思います。わがシンシパル君は、すくすく育っています。もうすぐ公園デビューさせようかと、親(私)も楽しみにしています。





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