新聞記事によく「コンピュータのソフト構築費を1円で落札」と見かける。自由競争の入札だから、たとえ世間の相場から大きく外れていても、その価格に文句はない。 しかし落札後に、システム管理費としてベラボーな価格を請求する、というのが大企業のやりくちだ。当然、激しい批判が出た。テレビ報道(クローズアップ現代)によると、佐賀市では数字の「6」を「9」に1文字だけ入れ替える作業に数百万円をコンピュータ会社NE○に取られた、と呆れ顔で伝えていた。児童手当の年齢が引き上げられただけの作業。 私もこれに似た経験がある。ある官庁からだが、けっこう難しいテーマの調査分析を依頼され、悪戦苦闘のすえ、やっと初年度分を完成させた。ところが次年度の仕事は大手の企業が奪った。そしてなんと数ヵ月後、デタラメ結果をシレッと出してきた。 その仕事に未練はない。落札した企業がちゃんと解決できるなら、別にいいと忘れていた。でも、思ったとおりドタバタが起きた。その顛末はもう、ここでは触れない。私がいいたいことは、既にそのとき、確実に訪れるだろう「その後の混乱」を予感していたことだ。「彼らにはできない」と。 実は私たちは、その大企業が発信する情報、たとえば特許取得の内容や論文集を読む限り、彼らには当該案件を遂行する能力がないと分かっていた。「文は人なり」で、隠しても現れる。中身のまずさを糊塗する厚化粧にあわれを感じる。 自社技術がどのくらいの水準にあるか。その判定を「技術評価力(アセス)」という。部下のあいつはAという技術は如何ほどで、Bという技術や知識ではこのくらい。そして部全体の力はどのくらいあると。これを正しく把握し、社員の暴走を食い止める役割が管理職のはずなのに、同社は暴走した。あげく数ヶ月後、トラブルを必然的に引き起こした。 話は飛躍するが、子供たちの宇宙への夢は大きい。もうすぐ宇宙に出かける野口さんのように、スペースシャトルに乗りたい、宇宙パイロットになりたいと思う子供はたくさんいる。しかし、夢は夢。どんな親でも、我が子が今すぐ野口さんになれるとは考えていない。宇宙空間を旅するには、たくさんの訓練が必要であり、厳しい試練をへた経験と体力の持ち主だけに与えられたものだ。 自社がもっている技術水準がどの程度のもので、アレは出来るがコレは出来ない。長中期的な目標を獲得するには、事前にどんなことを用意し鍛えておくべきか、そうした判断をするのが組織にいる部門長の役割である。夢をもつ子供に「今なにをすべきか」諭す親のようなもの。 チャレンジ精神はいい。果敢に目標に立ち向かう気力は評価されていい。でも、無謀さと勇敢さとは紙一重。血気盛んな部下たちを冷静にいさめ、なおかつチームの士気をどう維持し、束ねていくかが部門長の役目だと気づいていない会社がけっこうある。 特許にしろ学会論文にしろ、日本の現場が所有する技術と知識レベルはなかなかのもの。技術立国ニッポンはまだ健在である。しかし、問題は管理職がそれを把握できていないことだ。一番ひどいのは、自社には技術がないのに「ある」と信じ込み、顧客にホラを売る会社だ。 年度末に発覚した由々しき騒ぎだが、「何とかモノマネで出来るだろうと」たかをくくった大企業の不始末を、私は数ヶ月前に予想していた。現に弊社の秘書が、その予感を正月のブログで書いていた。技術とか知識というものは図体でなく、内容であり品質だ。ある程度のレベルにあれば、即わかる。 仮に官庁のほうが、大企業の出したデタラメ内容のまま受領したら、いずれ情報公開されたときに、どちらも赤っ恥をかくぞと心配していた。ひょっとしたら癒着か・・・。それにしても「大男、総身に知恵が回りかね」と揶揄されないように、図体のでかい組織は引き締めが大切だ。官庁と大企業のユルフン相撲は見たくない。 私は「その仕事に未練はない」と書いた。事実、もういらない。しかし、このままだと誰が損を蒙るかといえば納税者である国民だ。わずか一文字の変更作業で、数百万を要求するコンピュータ会社のような、こわいヤツラがはびこる時代。もはや国民のため、世のためという意識は企業から失せたか。企業は社会環境との適合性そのもの、いいかえれば社会に生かされている存在だったのに。 低レベルの技術しかもたないのに、看板だけ大きい所がイイカゲンな仕事をしていないか、私はこれから見張っていこうと考えている。組織はたとえ小さくても大きくても、希望がでっかい会社の応援をしよう。ふざけた分析とか調査で世間を騒がせている○○総研、大企業の傘下でぬくぬく粗雑な仕事をしていないかチェックしよう。米国とちがい、日本の「自称シンクタンク」のレベルは本当に低い。深い闇。
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