需要予測や販売予測、あるいは株価の日経平均予測など、近未来におこる事象の数値を人は知りたいと切望しているようだ。「予測」と単語検索すると、おびただしい数のホームページが「われこそは」とばかり勇ましい呼び込みをしている。中身を読んでみると、ほとんどが空しいことばかり叫んでいる。数学や統計などの科学方法論をもつ人々には、それは白々しい虚飾にうつる。 きちんとした数理論で書かれた論文や研究も、なかには散見できるが、今度はそれらは世間の欲望をみたす水準には届いていない。予測値を欲しいとネットで捜している人、そうした要望にたいし「予測ができるゾ」とわめく人は実験室レベルの理論を知りたいのでなく、もっとドロドロの期待をもっている。大学の研究論文はたとえきちんと書かれていても、明日の株価の予測には程遠い理論バナシにとどまっている。 統計数理研究所の故林先生の数式を読んで、やっと先生が伝えたかったことが理解できた。そう思えるのに数年かかったが、なんとか林知己夫先生の数量化理論が、社会現象の予測に貢献するという実感をもてる段階にこれた。たとえば全国のおでんの売れ方、愛・地球博の入場者の人数、スーパーの販売額、テーマパークの来園者数など、多数のことで予測をしてみたが、ピタリと当てることができるようになった。 平均すると実際値と予測値との相関係数はr=0.98で、一致度をしめす課題説明力はr2=0.96になる。5パーセント以内の誤差で、明日やあさっての近未来を予測できる。 株価予測にもトライしている。こちらは商品の販売や需要とちがい、互いの駆け引きが交錯するので、販売や需要予測ほどキレイにはいかないが、それでも日経平均であれば誤差幅は6〜7パーセント内に収まる。銘柄だと売買が成立することが第一義で、理論だけではないので約8パーセント。日経平均でも世界の地政学リスクが働くので、ズバリ当てるのは難しい。それでもなんとか予測の範囲に入った。フゥー、ここまで来るにはたいへんな苦労を重ねた。 まずまずの成果が上がりだしたこの頃、ふと思ったのは、林先生が成し遂げたかったことは明日の予測でなく、ほんとは過去の実績を標準化することでなかったのではと気づいたのだ。現状を把握し将来のありかたを統計学的に範囲設定しようとすれば、それは予測になる。しかしその関心を過去に向かわせれば、それは過去に積み上げられた実際の数値が、実はこの範囲に収まるハズだったのではないかと。 あのときの売上げ、あるいは需要、または入場者は固有な実需としての勢いはコレくらいであったのが本当で、残りは偶然の産物がいくらか付着していたのだと考えられまいか。たとえば駅前にいて小銭が欲しくて両替のために買ったガムは、その店の真の吸引力というより偶然の購買もあるだろう。 こうして考えると林先生の数量化理論は、過去の実数をならして偶然がもたらした水ぶくれ分と固有実需とを区分してくれる分析だったと思われる。つまり例えば販売でいうと、その店や地域、会社がもっていた、その時々の販売力はこうこうでしたと、過去を整理して見せてくれる。この勢いでいくと明日はこのくらい売れるハズなんだと。 林の数量化1類、2類などは、過去から現在、そして未来につづく連続した流れをとらえて、一定区間ごとに、つまり日々の、または週間や月間での基準値をみせてくれているのだ。このことは大きい。マーケティングだけでなく組織論からみても、含蓄のある発見、財産に直結するナレッジである。 例としてA店は、立地環境や店長の人柄、スタッフ数からいうと、毎日これだけ売れる潜在力がある。それに曜日や天候、気温、ライバル店との距離などを勘案すると、○月○日(○曜日)はこのくらい売れるという基準値がはじきだされてくる。それが達成されたときは、充足感がスタッフや関係者たちに成功体験として植え付けられる。もしも達成できなかったときは何故か、という問いかけがみずからに生じてくる。 合理的な改善や工夫が、内発的に提案されていくのなら、その組織は若々しい。問題によっては仲間たちだけの改善工夫では手に余ることもでるだろう。それらが各地で起きていれば、組織全体のビジネススタイルの適合性のもつ課題かもしれないし、キャリアをつんだ上級スタッフの派遣で解決できるものかも知れない。 林先生のアイデアを理解し、科学的な手法で今では予測ができるようになったら、実は私たちが目指していたのは明日を読むという欲望でなく、過去の歩みを正しくつかみ、それらを基準値にしていく作業をとおして確実な今日と明日を計画していくということだと気づいた。基準値がわかれば人は目標にむかい励めるし、未達のときは改善も自主的になるだろう。林先生という先達のなした偉業、あらためて感謝する気持ちだ。
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