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2013.08.21 「カウントではだめですか」

 SNSなどで多く使われる単語をカウントして、現在の消費者心理を探ろうという試みが面白いとマスコミでにぎわっている。本当にそうなのか。世間で今いちばん使われている単語が、はたしてもっとも消費者の話題の核心なのだろうか。

 買い物から帰ってきたお母ちゃんが口にする言葉は、この季節は「暑い暑い」「お茶お茶」。現状をそのまま素直に表現する。お父ちゃんはアベノミクスと株の乱高下か。株は持ってなくても、時代のハヤリ言葉にすぐ飛びつきたがる。

 ネットの世界のコトだが、自分の作った食事メニューを書き込むブログを8年間追跡した。そこでいちばん多く出現する単語は「ご飯」であり「味噌汁」だった。たしかに世間の実情であるが、けれども、それがどうなのか。

 スーパーマーケットのPOSデータも調べた。これも6000万件を超えていた。年間を通してもっとも多く買われる食材は中分類では「野菜」と「惣菜類」「デリカ・パン」類だ。しかしブログも買い物も、そのカウント数がたとえ日本人の消費者行動を正しく投影しているとしても、そこから何か新しい発見ができるとはとても思えない。当たり前のことだからだ。「そんなの知ってる」と言われます。単語の数だけで物事がわかるほどコトは単純でないよ。

 今夏は暑かった。9月も近いというのに今日もまだ暑い。ブログやフェースブック、ツイッター等のネット書き込みでは、たぶん「暑い」が最多頻度の中に入っている。当たり前だから。しかし、「暑い」という書き込みがすべて「暑くてつらい」という表現ばかりではないはずだ。中には「暑い夏をこうして過ごそう」とか「暑いときは外出を控えよう」とか、暑さ対策や予防、ひょっとすると「暑さにはなれた」という猛者もいるかもしれない。

 もっとも多く書かれた単語が何を表現しているかは、「その単語だけ」の意味解釈ではあまり役立たない。その単語の周辺にある別の単語とのかかわりの中で、表現したい意味が創出されていくからだ。そこで世間に出まわっているテキストマイニングとか自称するものは、係り受けという単語同士の2つのつながりに注目した。たとえば外に一人でいる坊やに、大人が心配して「どうしたの」と聞いたとしよう。「パパ会社」と答えた。意味は一応伝わる。だが、次にくるのが「行かない」または「クビ」とでは事情が大ちがい。単純な「パパ会社」という2語を発語できるのは、人間では20カ月児あたりからといわれる。係り受けとかはしょせん2歳児程度の能力しかない。
 
 文章中に例えば「犬」「走る」のような係り受け関係がみつかった。それはタイシタものだ、犬が走ると解読する技術ができた、とテキストマイニング開発者は激しく自慢した。「犬」「吠える」や「犬」「飲む」、「犬」「オシッコ」という係り受け関係の存在が発表され、業界は喜びにわいた。

 しかし、犬という生き物は走り、食べ、眠り、ジャレ、オシッコを「そもそもする」動物だ。そんな係り受けを探し出して鬼の首を取ったように自慢するのは恥ずかしい。その単語の中におのずから含まれている性質を属性といったり意味合い(セマンティクス)といったりするが、そうした基本的に含まれる意味関係を探し出して発見というのはおこがましい。そんなことなら図書館でいちばん高いところにデンといて、使われもしない大辞典をよめばすぐにわかる。犬とは走ったり眠ったり遊んだり、時には棒に当たる動物だと先人によって記述されている。今更21世紀の人間がする発見ではない。

 カウント数によって世間の実情を知りたいとの試みは、もっと別な意味で大きな問題をもつ。それは、もっとも多く使われる単語や係り受け自体にある。いわば多人数が使っていること、または言い過ぎていることによる多数の意味合いの存在、すなわち解釈がいろいろ取れる誤解が出やすいことだ。

 今、携帯電話はスマホにとって代わられようとしているらしい。多くの書き込みがスマホがどうの、ああだ、こうだと表現している。そうした状況下では、おのずと混乱と次の収束→安定化の力学が生まれてくる。生産者であれば、スマホ競争に勝つにはより安価な価格にしなくてはいけないし、またはより高度な技術を開発するしかないだろう。あとはウソをついたりパクリをしたりして価格競争や技術競争に勝ち抜くしかない。消費者にすればより安い料金と便利さ、逆にハイエンドな用途を求めて、あちこち情報を探しまわるだろう。

 しかし「人の暮らし」におけるスマホという意味や概念は、それを用いる人の立ち位置によってバラバラだ。先進国の人々の暮らし、新興国のそれ。独自技術をもつ企業方針とパクリ技術で裁判闘争を得意戦法とするどこかのそれ。競争により成長期といわれる熾烈な時期はすぎて、普及期から静かな代替期に入った先進国のスマホ意識。これから拡大する可能性があるものの、高級機マーケットが小さい発展途上国だが安く100ドルくらいなら急成長するかもしれない。スマホの位置づけは価格と目的と地域とで、みな異質だ。スマホの役割がグダグダなのだ。

 スマホに求められる用途は、所詮、電話機とミニパソコンである。というか、使用する人間そのものが20世紀、いいえ明治や江戸時代前とそんなに変わっていないことから始めなくてはいけない。事案の問題を知り、どうすべきか考え、仲間に伝える。コミュニケーションの基本形があれば、そんなに暮らしに不満はない。スマホをもって急に偉くなったとか、思考力が高まったとか、威光がさしだしたとかの話はトンと聞かない。それよりも、大学のレポートがネット情報をコピペして一律になっただの、だれもが同じような発言をしだしただの困ったことが拡大しだした。個人の自由な発想が消えて、みんなが似たような情報のもと似たような考え、同調した行動をとる時代とは・・・・。

 そして、誰もが知っているコトは情報といわない。常識という。誰もが使う表現は面白みがない。没個性的という。ネットにのっている情報をうのみにして、「活用」しているスタイルは余りカッコよくない。自分で考え、自分で試行錯誤して目的を実現したとき、それを成功という。流れに飲まれて群衆のなかにいる連中ほど扱いやすいものはない。

 この夏も「今年もっとも食べたいアイスは何か」とかいう調査があった。ネットに結果が書かれていた。「アー、私もそー」とつぶやいた人もいるだろう。そうした人々を「B層人間」といって哲学者・適菜収氏は、流れに巻き込まれる群衆だと嘆いている。

 「あなたはどのアイスを食べたいですか」の設問では、食べない人々はのっけから意見を書けない。太りたくない、飽きた、いいものがない、腹下しがイヤとかの発言者は除外される。食べたいという集団だけのサンプルによる、そのベストアイスが列挙されることが消費者行動を誤解させる。これが次の問題だ。日本人全体のような母集団の中からとったものでなく、たった1000人そこそこのサンプルで、しかも「食べない」と拒絶した2〜3割を除いて、残りの人々の意向を数量化して嬉しがる。そこには新しい発見はない。現状の追認だけだ。

 アイスを食べない理由を知りたくないのかい。減らした理由はなぜか。こんなアイスがあったら食べるのにという新着想はないの。ホイホイと回答した、彼らによってカウントされた商品の競い合いだけでいいの。どうやってアイスの消費を増やそうかと思わないのかい。

 だから適菜氏に、消費者はバカなB層として「困った集団」にされてしまう。そして、そんな顧客の声しかきかない日本メーカーは安値競争に強い中国や韓国に敗れ、家電や食品、衣料などはことごとくシェアを奪われた。彼らが逆立ちしても思いつかない新着想がこれからの勝負どころだというのに。

 東京近郊にあるテーマパークでは毎年、来街者調査をしている。そこに記述される内容は「有名キャラにあえて良かった」「長く並んだ」「だけど楽しかった」などで、ほぼ毎年、内容に変化はない。あっては困るからだ。あえていえばパーク側が仕掛けたことの反応があるかどうか、設置者はそれだけを知りたい。人が並んでいないアトラクションや施設、レストランにあなたも興味がわかないでしょう。だから、ほどほど長い行列ができ、不満が爆発しない程度にワイワイ盛況であってほしいと思っている。ひょっとしたらそこに解決のヒントもあるかもしれないし。

 電話クレーム処理をテキストマイニングした結果をみたことがある。ほとんど毎日、苦情や要望は均質といっていいようなものだった。役員はしだいに興味をなくして読まなくなり、担当者は「もう知っている」となり、しだいに冷淡・無反応になった。そのとき社会的かつ経営を揺るがすような大問題が起こる。最近のことだが某メーカーは「お客様の声」対応で先進的だとうそぶいていたが、多くの消費者を泣かせてしまった。肝心な意味伝達の理解ができていなかったからだ。B層は適菜氏などにすれば「困ったチャン」だが、実情を伝えてくれる大切な顧客層でもある。その声を無視した罪は深い。

 「カウントだけではいけないのですか」の問いへの第三の「ダメです」の返答はこうだ。新しい意見、意向は「まだ少ない」。小さい声にすぎない。だからといって数量の小ささを理由に黙殺すると、いつかすごい仕返しがやってくる。白斑問題、中毒、食品に異物混入など事件が絶えないが、小さな声のうちから注目していかないと、かならず倍返し以上の暴発につながる。

 こうしたことから、カウント数の多さを確認し、現状追認をして喜んでいる組織や人々に警告を出しているが、真摯にきいてくれる人はまだ少ない。秋だ、サンマだ。クリスマスにはケーキだ。大群衆の動きを追ってさえいれば企業はのんきに勝ち続けられると、まさか思っていませんよね、あなたは。近未来をイメージする力がこれから必要です。

 中国には、まだ暑い夏日なのに「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」という故事がある。ちょっとした事象から先のことを読み取ることがリーダーの必須要件という意味らしい。私もこれからは次代の到来を敏感に感じ取れるセンスだと思う。社会学の普及論でいうなら早期受容者(アーリーアダプタ)がどこに注目し、どんな発言・行動をとるか見極めることが重要だ。一般大衆は、彼らの後をゾロゾロ大群でついて行くから、あとは簡単。それには少数でもグッとくる発言はなにか、鋭敏になることだ。それも科学的に処理されることを前提として。

 カウント重視の路線では安値競争しかなく体力を消耗する。もしくは他社技術のパクリしかなく、訴訟され将来性は薄くなる。デフレ経済を招く一因でしかない。先見性重視の路線はライバルは少ないものの方向性がギャンブルだ。だからこそリーダーのセンスなのだ。三井・三菱・住友・安田をはじめ阪急などの創業者たちの著述を知ると、時代を超えた偉人像というものがしのばれる。彼らには先見性、いいかえると「時代を読む洞察力(インサイト)」が強烈にあった。

 統計学者の故・林知己夫先生の講義を、私がまだ学生のころきいた。日本人の心理構造や行動パターンなどの分析結果に「そんなの知ってる」とクサされることが多々あったと。「統計学は社会を映す鏡だ。だから正しく像を描こうしているのだよ」との教訓をいただいた。正しい像はとかく「知ってる」と見下される。では、ゆがんだ像がほしいのかい。世間では意図的な企画、例えばアイスの序列をきそい、食事メニューや販売商品のカウントに血眼になっているが、もっと気遣うべきコトがあるのではないかな。

 (注1)統計学ではカウントは大事です。というか当たり前です。最頻値はモードといって基本統計量のひとつ。でもその分野にいる人々は平均値と標準偏差、標準誤差、自由度のほうをもっと気にします。
 (注2)ホイホイとかゾロゾロという語彙は、動きの軽快さや逞しさ、凝集性などの様態を示すだけで、けっして何かの生き物や概念、思想などを暗示していません。架空の行動表現です。





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